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布川事件:徹底検証なくして刑事司法に未来はない(弁護団2011.6.17)

徹底検証なくして刑事司法に未来はない 

 検察官の控訴断念により、布川事件の再審無罪判決が確定しました。戦後、死刑・無期懲役の判決が確定した後、再審で無罪となった事件は、布川事件に先立ち6件ありますが、逮捕から再審無罪判決までに要した年数は、最も長かった免田事件や島田事件でも35年です。布川事件は、これをさらに9年も上回り、戦後最長ということになります。44年にも及ぶ粘り強い活動によって雪冤を実現した意義は極めて大きいのですが、同時に、なぜこのような深刻な冤罪被害を招いたか、そのことについては、徹底した検証がなされる必要があります。

  ところが、その無罪判決の確定にあたり、検察や警察は報道機関に対し、無罪判決を正確に踏まえたとは言い難い発言を相次いで行っています。例えば、朝日新聞によると、茨城県警の現役幹部は「当時の捜査を検証することはない。再審の判決では違法な捜査があったとは認めていないし、実際になかったと思う」と、そして、杉山氏の取調を担当した元捜査員も「目の前で自白を聞いた。検察は控訴すべきだった」と語ったとされています。また検察官は、「担当検察官による捜査及び公判活動は適法に行われたと認識している」「残る証拠は最高裁が有罪を確定させた判決のときと、変わらないはずだ。それなのに再審では結論を無罪にひっくり返した」と指摘した、と報道されています。この方々は、無罪判決を真面目に読んでいるのでしょうか。それとも読んでいながら、あえて判決と異なる情報を発信しようとしているのでしょうか。重大な冤罪を招いた事実を真摯に受け止め、これを冤罪根絶のための契機にしようとの意識は、遺憾ながらここには微塵も見られません。

  確かに裁判所は、私たち弁護団の希望とは異なり、判決の中で冤罪の原因について明快に断ずることまではしませんでした。しかし、それは弁護団の要求したような積極的な言及をしなかったというだけのことであり、再審無罪判決は、土浦支部の再審開始決定(2005年)やそれを支持した東京高裁決定(2008年)と同様、違法捜査や公判における捜査官の偽証に随所で言及しています。さらに、以下のとおり、これらの決定よりむしろ進んだ指摘をしている点も少なくありません。

  取調経過に関する証拠の評価においては、櫻井・杉山両氏の公判供述等に一貫性や臨場感を認める一方で、取調べにおける誘導や強要を否定する捜査官の証言の不自然さや自己矛盾を随所で明快に指摘し、「率直さに欠けた自己防衛的なもの」と評しています。自白や目撃証言のはなはだしい変遷を分析して、取調における誘導を指摘し、自白の強要についてすら言及しています。そしてその結果として、無罪判決が幾度も「自白の任意性に対する疑いを払拭しがたい」とまで踏み込んだ判示をしているのに、県警幹部は何の根拠をもって「再審の判決では違法な捜査があったとは認めていない」と言えるのでしょうか。

 さらに再審無罪判決は、録音テープに関する取調官の虚偽の陳述(偽証)について、すでに再審開始決定等で指摘されていた櫻井氏の取調官だけではなく、杉山氏の取調官についても問題としたのです。その偽証を指摘された杉山氏の取調官と思われる元捜査官が、もし本当に「目の前で自白を聞いた。検察は控訴すべきだった。」と語ったのだとすれば、余りに自省に欠ける態度というほかありません。

  また、目撃証人の初期供述が再審請求審で開示され、目撃供述の不自然な変遷の事実が明らかになりましたが、そのことは、同時に、確定審の公判において検察官が虚偽の答弁をして開示を免れ、証拠を隠した経過も明らかにしました。一例を挙げれば、被害者宅近くの栄橋で櫻井氏を目撃したとされた証人について、確定審で弁護人が、未提出の供述調書等の開示を求めたのに対し、検察官は「同人の検調(検察官調書のこと)は、すでに原審において取調済みであり、同人の員調(警察官調書のこと)は右検調と同趣旨であるので開示を受ける必要はない。」と答弁したのですが、再審請求審における証拠開示の結果、この証人の警察官調書は、取調済みの検察官調書とは内容に違いがあること、それどころか内容がまったく違う検察官調書がもう1通存在したことが明らかになり、その結果、確定審で有罪の根拠とされた目撃証言が崩れていった経過があります。その「証拠隠し」の指摘に対して、再審請求審及び再審公判を通じてまともに反論することもできなかった検察官が、どうして今さら、「担当検察官による捜査及び公判活動は適法に行われたと認識している」などと論評ができるのか。理解に苦しむところです。

  このように、再審では、証拠隠しが暴かれ、隠されていた証拠が開示されて目撃証言が崩壊し、捜査官の偽証が判明し、自白の任意性が否定されるに至ったのですから、「残る証拠は最高裁が有罪を確定させた判決のときと、変わらないはずだ。それなのに再審では結論を無罪にひっくり返した」との発言が、事実を歪めるものであることは明らかです。これは検察がすべての責任を裁判所に転嫁し、自らの責任には頬被りをしようというものともいえ、見苦しい対応というほかありません。

  さらに、再審無罪判決は、確定審が自白の任意性の根拠とした両氏の録音テープについて、「供述の録音が取調べの全過程においてなされたものでない」ことをも根拠に挙げ、「自白調書以上に、そこから独立した証拠価値を見いだすことは困難」として、東京高裁決定と同様、一部可視化の危険性を示唆しています。それどころか、免訴の主張について判断するくだりでは、「被告人両名に対する取調の過程等に不適切な点があったこと」が窺われるとしたうえで、「本件有罪部分に係る起訴後の勾留等が本件強盗殺人に係る捜査に利用されたなどとの事情も否めない」との指摘もしています。これなどは、身柄拘束下での違法な自白強要というこれまでの捜査手法に対する警告ともいえるでしょう。

  このように、再審無罪判決は、布川事件における捜査活動及び公判活動の数々の問題点について、前記の再審開始決定等に勝るとも劣らない重要な指摘をしています。それにもかかわらずその指摘を無視したかのごとき検察及び警察の前記の発言等は、「違法捜査」を国民の目から覆い隠し、さらに「証拠隠し」を隠し通そうとするもので、このような公正を欠く議論を続けているようでは、刑事司法を改革し、冤罪を根絶する展望など、開かれようがありません。

 警察庁長官は、6月9日の会見で、布川事件の捜査の検証については、改めて行わない考えを示した、との報道がされています。違法な捜査で櫻井・杉山両氏の人生を侵害し、翻弄したことに対し何の反省もせず、検証する考えもないとするならば、警察の体質が何ら変わっていないことを、また、変える気もないことを、広く自ら宣言したに等しいというべきです。

 3月31日、検察の在り方検討会議は、その提言において、「捜査段階においては、被疑者にとって有利であるか不利であるかを問わず、真実を発見するための証拠を広く収集し、被疑者の弁解にも十分耳を傾けるべきであるし、公判段階においても、有罪判決の獲得のみを目的とする悪しき一方当事者となることなく、公正な裁判の実現に努めなければならないことを肝に銘じるべきである」と述べています。この観点に照らせば、前記の各発言は言語道断というほかありません。検察が、布川事件で明らかになった検察の数々の違法行為をどのように検証し、どのように自らを変えようとするのか。検察の改革が本気のものか、単なる一時しのぎのポーズに過ぎないのか。それが、いまここで問われているのです。

  そして、警察や検察に自浄の意思も能力も期待することができないとすれば、第三者機関によって、警察・検察の捜査活動、公判活動のあり方や裁判所の審理のあり方について、徹底的な検証作業が行われることが期待されます。布川事件も含め多くの冤罪被害が次々と明らかになったこの時期に、その努力が行われないとすれば、我が国の刑事司法に未来はないといって過言ではありません。