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布川事件:再審無罪判決の意義(2011.6.15 弁護団)

布川事件再審事件弁護団は2011年6月15日、「再審無罪判決の意義」と題するコメントを公表しました。

この無罪判決に対しては、支援者などから積極的な評価をするに足る点とともに批判的・消極的評価をせざるを得ない両側面があると指摘されています。そこで、弁護団として現段階の評価を以下のとおりコメントしております。

「布川事件・再審無罪判決の意義」

  5月24日、水戸地方裁判所土浦支部は、再審公判において、櫻井昌司氏と杉山卓男氏に対し、無罪の判決を言い渡しました。その詳細については、別に掲載した判決全文を参照していただくこととして、ここでは、再審無罪判決の意義について述べたいと思います。なお、文中の括弧内の頁数は、判決書の該当する頁数を表示しています。

 1 44年の歳月をかけて雪冤を果たす

  言うまでもないことですが、この判決の最大の意義は、44年に及ぶ雪冤の願いにこたえ、櫻井・杉山両氏に無罪を言い渡し、冤罪からの救済を実現したということにあります。

  戦後、死刑または無期懲役の判決が確定した後に、再審開始決定を経て無罪となった事件は、布川事件を含めて7件となりますが、逮捕から雪冤までに要した期間を比較すると、布川事件は島田事件や免田事件の35年を9年も上回り、戦後最長を記録することになります。44年もの歳月をこえて雪冤を実現した意義は極めて大きいと言うことができますが、そのことは同時に、無辜の救済に44年もの歳月を必要とした司法の不明を世に晒すものと言わなければなりません。なぜこのような冤罪が生まれたか。そのことについて、司法界をあげて徹底した検証作業を行う必要があります。

 2 無罪論証と証拠評価の重要な指針を提示する

  この無罪判決がもつ重要な意義としては、物証のない事件の証拠評価のあり方、ひいては無罪の論証のあり方に、重要な指針を与えているということが指摘できます。この点に、是非注目して下さい。

  判決はまずその冒頭で、両氏と犯行を結びつける物的証拠が何一つないこと、換言すれば、確定審の有罪判決を支えるのは、「目撃証言」と「捜査段階の自白」という供述証拠しかないことを確認したうえで、これらの供述証拠の綿密な検討に入ります。

  自白を支えた6名の目撃証人については、確定審での証言や起訴直前に録取された検察官調書に、再審請求審で開示された初期の供述調書や捜査報告書を加えて、供述がなされた経緯、供述変遷の経過等を丹念に検討し、さらに他の証拠との整合性も検討します。そして個々の証言について「信用性を肯定することには慎重とならざるを得ない事情が多々内包されている」等の評価を加えたうえで、結局、被害者宅前で二人を目撃したとする最も重要な証人の供述については、「信用性に欠けるというほかな」いと断じ、「一連の目撃供述を全体として考慮しても、結局のところ、本件強盗殺人に係る被告人両名の自白を支え、あるいは被告人両名の犯人性を推認させる証拠は何ら存在しない」との結論を導いています(59頁)。

なお、その論証の過程で、確定審が有罪の根拠とした検察官調書(いわゆる2号書面)について、「取調べにあたった検察官による何らかの意図が、供述経過に一定の影響を与えた可能性」を認めていること(36頁)、東京高裁決定(2008年)が根拠を何も示さないで信用性を肯定していた駅員の証言(事件当日布佐駅前で杉山氏を見たとするもの)について、「その信用性に一定の疑念を差し挟むべき事情も認められる」とし(44頁)、さらに「他の日付の出来事を同日のものとして混同している具体的な可能性」(42頁)にも言及してその評価を修正したことは、評価できる点です。このほか、被害者宅前の最重要証人の視認条件の良否について、再現実験とこれに基づく心理学鑑定を援用していることは(26頁)、心理学鑑定の活用に道を切り開くものとして注目すべきことでしょう。

さて、判決は続いて、二人の自白の任意性・信用性の検討に入ります。その検討にあたって判決は、以上のように「有力な補強証拠も、犯人性を推認させる間接証拠も何ら存在しない」という証拠状況の下で、自白の任意性、信用性の有無を判断するにあたっては、「殊の外慎重な姿勢でこれに臨むことが強く求められる」と述べています(60頁)。この姿勢は、これまでの供述依存、自白偏重の刑事裁判に対し、大きく警鐘をならすものといえるでしょう。

  自白の検討は、まず二人の自白の変遷から始まります。約20頁に及ぶ検討の結果、判決は、二人の自白の変遷は、「犯行そのものやそれに直結する重要な事項の全般にわたり、その程度も容易に看過しうるものではない」「極めて広汎にわたり、かつ重要な事項について悉く供述を変遷させている」、そして「その変遷に合理的な理由を見いだすことも困難である」としたうえで、こうした不自然不合理な変遷を多々伴うことは、「自白の信用性自体を相応に減殺し、ひいてはその任意性にも一定の疑いを生ぜしめる」と断じています(94頁)。

次に二人の自白相互の相違点について検討し、「被告人両名が実際には体験していない事実を供述しているが故に、広汎にわたり相互の供述内容に不一致が生じているのではないか」との疑問を提起し、この点も「自白の信用性を相応に減殺し、ひいてはその任意性にも一定の疑いを生ぜしめる事情である」としています(98頁)。

  そのうえで、判決は、自白内容と客観的事実との整合性に論を進めます。その論述に約30頁を費やしていますが、結論としては、

①殺害行為の順序に関し、口にパンツを挿入した後に頸部圧迫に至ったという自白は、法医学の鑑定結果に基づき、客観的事実に反している可能性が高い(112頁)

②現場8畳間の床が落ちている状況に関する二人の供述は、迫真性や臨場感に欠け、現場の客観的状況にそぐわない(115頁)

③物色に関する櫻井の供述は、現場の客観的状況から合理的に推認される事実と齟齬している可能性が相当に高いし、他の点の供述状況にも不自然な点がある(116頁)

④偽装工作のためガラス戸を蹴ったらガラスが割れたという自白は、再現実験や鑑定に照らして信用できず、外力によってガラス戸が変形し、ガラスが割れ、ホゾ等が損壊した可能性が高い(125頁)

⑤便所の桟をはずして窓から逃げたという櫻井の自白は、現場の客観的状況等に照らし不自然である(127頁)

⑥二人の指掌紋や毛髪が採取されていないことは、被告人両名の自白の任意性、信用性を疑わせる一つの事情である(128頁)

 といった点で客観的事実と整合しない可能性が高い、あるいは、客観的事実に照らして不自然と思われる点が少なくなく、二人の自白の信用性に重大な疑問を抱かせ、ひいてはその任意性にも一定の疑いを生ぜしめる、と結論づけています(129頁)。

  この判決は、以上のように、捜査段階の供述証拠に依存しがちな我が国の刑事裁判の中にあって、その危険性を認識したうえで、供述証拠の分析のあり方と無罪の論証について重要な指針を与えるものと言えます。

なお、二人が虚偽のアリバイ主張をしていることが、有罪の根拠であるとする検察官の論理に対し、この判決は、アリバイと相反する関係にあった目撃証言が信用できず、二人の公判廷供述はその一部に客観的な裏付けもあって信用できるという状況のもとで、二人のアリバイ主張が虚偽と認める証拠はないとして検察官の主張を退けました。再審請求審でもほとんど省みられることのなかったアリバイ主張について、前進が見られたことも判決の評価できるところです(153頁)。

 3 供述証拠の成り立ちを弾劾する

  以上の供述分析にあたりとくに注目すべきなのは、この判決が、供述証拠の成り立ちについて、厳しい視点から検討をしていることです。

目撃証言に関しては、まず被害者宅前の最重要証人につき、供述の経緯とはなはだしい変遷に疑問が呈されているほか、供述内容自体に不自然、不合理な点が多く、信用できないことが指摘されています。他の5人の証人については、いずれも供述に一貫性を欠き、変遷がはなはだしく、捜査官による何らかの意図が供述経過に一定の影響を与えた可能性、あるいは端的に誘導の可能性を指摘されている証人も少なくありません。 

厳しい視点は、自白の任意性に対する判断に、より鮮明に現れています。この点については、再審請求審の判断と比較しても、むしろ、進んだ指摘をしている点が少なくありません。

  取調経過に関する櫻井・杉山両氏の公判供述などに一貫性や臨場感を認める一方で(133頁、139頁)、取調べにおける誘導や強要を否定する警察官の証言の不自然さや自己矛盾を随所で明快に指摘し、「率直さに欠けた自己防衛的なもの」と評しています。検察官の取調状況についても、裁判所は検察官の証言よりは二人の供述のほうに信頼を表明しています(136頁、145頁)。

  また、再審無罪判決は、録音テープに関する取調官の虚偽の陳述(偽証)について、櫻井氏の取調官のほかに、杉山氏の取調官についても問題としました(145頁)。

  さらに判決は、自白や目撃証言のはなはだしい変遷を分析して、取調における誘導を指摘し、自白の強要についてすら言及しています(151頁)。そしてその結果として、無罪判決は幾度も「自白の任意性に対する疑いを払拭しがたい」と踏み込んだ判示をしています。再審請求審の判断が「虚偽自白を誘発しやすい状況」があったという程度の総括にとどまり、自白の任意性に関する判断を回避していたのに比べれば、大きな前進と言えます。

重刑の予想される重大事件で、それほどの暴行や拷問もない状況で比較的短期のうちに自白したケースで、その任意性が否定されたことには大きな意味があります。

 4 実質は完全無罪の判決である

  以上のとおり、この判決は目撃証言については、「一連の目撃供述を全体として考慮しても、結局のところ、本件強盗殺人に係る被告人両名の自白を支え、あるいは被告人両名の犯人性を推認させる証拠は何ら存在しない」と宣言し、「殊の外慎重な姿勢で」自白の任意性、信用性の有無を判断するとしました。

そして、その結果として、自白が信用できないというだけではなく、自白が強要や誘導によって作り上げられたものであることを認めました。

そのことは、捜査官が供述証拠を作り上げなければ、もともと両氏を本件に結びつける証拠は何もなかったことを示しているのです。そして、判決は、「一連の各目撃供述は、被告人両名の各アリバイ供述と内容的に両立し得ないのであるから、その両者の信用性はいわば二律背反の関係にある」(12頁)、「被告人両名の各アリバイ供述とこれと相反するその捜査段階における自白とはもとより表裏をなす関係にある」(13頁)ということを前提としたうえで、一連の各目撃供述と自白の信用性を否定する一方、アリバイ供述には、「一部とはいえ、客観的な裏付けも存している。」(155頁)とまで認定して、「アリバイ供述を虚偽と認めるに足りる証拠はない。」としています。その意味では、全体の言い回しこそ刑事裁判の原則に従って有罪の証拠がないというようなものになっているものの、以上のとおり、有罪の証拠が信用できないだけではなく、二人の公判供述に優位性を認めており、実質は、完全無罪の判決なのです。

 5 判決は冤罪の原因について何を語ったか

  さて、弁護団は、判決が両氏の無罪を宣告するだけではなく、判決の中で、誤判の原因、冤罪の原因について明らかとするように求めてきました。裁判所には、裁判官の独立の原則があるので、上級庁に冤罪の原因についてまとまった研究・分析とそれに基づく指導を求めることには障害がある、だからこそ、冤罪を担当することになった裁判所には、みずからの良心にしたがって、冤罪と誤判の原因を明示する使命があるのではないか、と訴えていましたが、残念ながら、本判決にはその点を積極的に論じたところはありませんでした。

  また、本件判決の判示には、事実認定の一部に再審請求審の各決定に比べ後退した部分(殺害行為の方法、近所の女性の証言)があり、全体の判決文の論調についても、再審請求審の各決定に比べ歯切れの悪さが目立ち、検察官への遠慮ではないかと思わせる部分も少なくありません。判決言い渡しの直後に、裁判所から検察官に対してだけ密かに判決草稿が交付されていたことがその後発覚しましたが、そうした秘密を共有する関係のもとで検察官に対する適切な批判が果たしてなし得るものかとの疑問も、つい頭をもたげてきてしまいます。

  このように、裁判所は、私たち弁護団の希望とは異なり、判決の中で冤罪の原因について明快に断ずることはしませんでした。しかし、再審無罪判決は、土浦支部の再審開始決定(2005年)やそれを支持した東京高裁決定(2008年)と同様、違法捜査や公判における捜査官の偽証に随所で言及しています。さらに、前述のとおり、これらの決定よりむしろ進んだ指摘をしている点も少なくありません。判決の内容を辿れば、冤罪を生んだ原因が相当程度浮き彫りになるのです。

  結び付けの物証が何一つない中で、捜査段階で供述証拠を強引につくり出していったこと、とくに自白については、誘導ばかりか強要についてまで言及されていたことは、3で述べたとおりです。

  さらに、免訴の主張について判断するくだりでは、「被告人両名に対する取調の過程等に不適切な点があったこと」が窺われるとしています。そのうえで、「本件有罪部分に係る起訴後の勾留等が本件強盗殺人に係る捜査に利用されたなどとの事情も否めない」との指摘もしていますが(166頁)、これなどは、身柄拘束下での違法な自白強要というこれまでの捜査手法に対する警告ともいえます。東京高裁決定のように、代用監獄への再移監について「虚偽自白を誘発しやすい状況に請求人らを置いたという意味で、請求人らの警察署への再移監には大きな問題があった」と述べた箇所はありませんが、同じ問題意識によるものと言うことができます。

  また、再審無罪判決は、確定審が自白の任意性の根拠とした両氏の録音テープについて、「供述の録音が取調べの全過程においてなされたものでない」ことをも根拠に挙げ、「自白調書以上に、そこから独立した証拠価値を見いだすことは困難」としました(159頁)。東京高裁決定と同様、一部可視化の危険性を示唆するもので、代用監獄の密室での自白強要を防止するための貴重な見解といえます。

  公判段階についても、再審無罪判決は、録音テープに関する取調官の虚偽の陳述(偽証)を、櫻井氏の取調官のみならず杉山氏の取調官についても認めました。取調官が偽証までして存在を隠蔽した櫻井さんの10月17日の録音テープは、再審請求審でようやく開示されました。また、前記のとおり目撃証人の供述の異常な変遷を明らかにしたその初期の供述調書や捜査報告書もまた、再審請求審で開示されたものです。これらの証拠はもちろん、毛髪鑑定書、死体検案書そして近所の女性の供述調書等が確定審で開示されていれば、より早期に充実した審理がなされ、櫻井・杉山両氏の無罪が明らかになっていたことは確実です。

 6 確定審における検察・警察と裁判所の責任

  以上の検討の結果として、私たちは、検察・警察にも、裁判所にも、猛省を求めたいと思います。

  前記の証拠の評価を通じて、確定審の裁判所の責任を指摘する声が少なくありません。確かに、結び付けの物証が何一つないこと、自白の変遷や相互の食い違いの大部分は、確定審の段階でも明らかになっていたことです。今回の判決では、櫻井氏の自白調書の「後の裁判で争うことを計算し敢えて、事実に合わない虚偽の供述をした」かの如き説明について、「当時、20歳を過ぎたばかりで公判請求をされた経験もない櫻井が、そのような狡猾な考えの下、殊更詳細にわたる虚偽の供述を重ねていくなどとの経緯は考えにくい」と断じる部分がありますが、これなどは前記の調書の記載を鵜呑みにした確定審の判断を真っ向から否定するものです。目撃証言にしても、被害者宅前で二人を見たとする最重要証人については、すでに確定審の段階で帰路供述は信用できないとされていましたし、他の5人の証人にしても、50日以上経過した時点で日常的な出来事の日にちを特定することの困難さは、常識でもわかることだったはずです。疑わしいときは被告人の利益にという原則に忠実であったなら、その確定審の時点でも無罪の判決が言い渡せたのではないかとの指摘も説得力があります。思えば、2で見た判決の判示は、確定審の最高裁決定の判示をほぼことごとく否定するものでした。再審開始の以前から疑問を指摘していた眼力のある裁判官もいたことを思えば、なおさらその思いは強くなります(木谷明「犯人の特定」『刑事裁判の心』[新版]157頁以下 法律文化社 2009年5月刊)。また、裁判所が検察官の虚偽の答弁に惑わされず、証拠開示にもっと積極的であれば、真相の解明はもっと進んだことも確実です。

  冤罪を生みだすうえで、裁判所の審理のどこに問題があったのか、十分な検証がなされる必要があります。

  しかし、そうした誤った審理を招いた根本の原因は、なんといっても、何の証拠もないのに、虚偽の自白を作り上げ、誘導によって目撃証言を歪曲し、しかも、そうやって作り上げた都合の良い証拠だけを裁判所に提出し、都合の悪い証拠については開示に応じないで闇に葬っていた検察・警察にあります。少なくとも、検察・警察が、弁護人が求めた証拠を素直に開示し、偽証などしなければ、確定審が有罪判決を下すことはあり得ず、無罪判決が言い渡されたことは確実です。44年にわたり二人に強盗殺人犯の汚名を着せ、29年にわたり二人を獄に繋いだ責めを、検察・警察は負わねばなりません。

ところが、この判決後、そうした責任を否定するかのごとき発言が、検察官や県警の幹部からなされています。この議論の不公正さについては、別に批判の見解を述べることとしますが、再審請求審と再審公判により明らかになった司法の課題(弁護人も含みます)について、法曹関係者がみなで検証を尽くし、冤罪を根絶する方法を見いだし、実践していくことが求められています。それが44年という人生の大半を奪われた櫻井・杉山両氏の受難に報いる道ではないでしょうか。

 7 DNA型鑑定請求について

  最後に、DNA型鑑定請求に対する判断について付言します。

  検察官が再審公判にあたり新たに請求したDNA型鑑定について、裁判所は第2回公判で請求を却下しましたが、本判決の中でその理由について言及しています。すなわち、「同鑑定請求に係る前記各証拠物の押収時から今日までの時間的経過に加え、それらの保管の経緯、状況等を全体として考慮すれば、検察官の主眼とするDNA型の検出はそれ自体極めて困難と思われる上、少なくとも、同鑑定を実施することにより、被告人両名や弁護人の主張等を踏まえ、種々の批判に耐えうる証拠価値を備えた新たな客観的証拠を獲得しうる見込みは著しく低いと帰結せざるをえない」と判示しました(9頁)。

DNA型鑑定が無罪の証拠として活用される余地があることは、足利事件やアメリカのドリズィン教授らの研究にも見て取れます。しかし、検察官は本件では有罪の証拠として用いようとしました。有罪立証に用いようとするときには、鑑定資料の保管状況、DNAが混入、付着する可能性がないことがとくに厳密に立証される必要があります。というのも、DNAは目に見えない形で付着する可能性が大だからです。本件では、鑑定資料が取調べの際に二人の前に提示されていたこと、さらに、鑑定請求直前に検察官が鑑定資料を借りだしていたことが明らかになっています。押田茂實日大教授が指摘しておられるように、被疑者が登場した後に行われるDNA型鑑定には、つねに危険が内包されていると言うべきでしょう。

  以上、再審無罪判決の意義について報告しました。今後さらに、判決の詳細を検討したうえで、第1次、第2次再審請求審も含めた再審・布川事件の成果と課題について、あらためて報告をしたいと考えています。