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名張毒ぶどう酒事件:差戻決定後の三者協議の状況 

名張毒ぶどう酒事件:差戻決定後の三者協議の状況 同事件弁護団報告(2010.12.10)

1.現段階における審理の問題点と弁護団の基本的姿勢

 検察官は,第7次再審請求差戻異議審において,第7次請求審,異議審,最高裁決定までの審理の過程で,既に審理が尽くされ,自らの主張の前提としてきた主張を変えて(注[i]),「RF0.58スポット(注[ii])はトリエチルピロホスフェ―ト(注[iii])と特定されていない。」等という主張を持ち出し,また,差戻異議審に至って,「ニッカリンTは,製造時にトリエチルピロホスフェ―トは5%以下しか生成されない」との新主張を始めました。

 裁判所は,検察官の上記主張に安易に乗っかり,次々と,新たな化学鑑定をすると言い出しました。

このような,検察官及び裁判所の態度は,「本件は,事件発生から50年近くを経過し,また,本件再審申立てから既に8年近く経過していることにかんがみ,差戻審における証拠調べは,必要最小限の範囲に限定し効率良くなされることが肝要であると考える。」とする最高裁・田原補足意見の真逆を行くものです。

 弁護団の現時点のスタンスは,争点を解明するために意味のある証拠調べについては同意し,時間を空費するのみで争点を解明するために不要な証拠調べについては許さないというものです。

 このような弁護団の姿勢は,上記最高裁の姿勢とも合致し,また,大多数の国民の感覚とも合致するものだと考えます。

  弁護団は,本来は,最高裁までの審理で,弁護側の主張立証は十分であり,これ以上の証拠調べは不要と考えています。

また,仮に,差戻異議審で証拠調べをする場合であっても,最高裁が「事件検体にニッカリンTが含まれていたとしても,濃度が低かった上,トリエチルピロホスフェ―トの発色反応が非常に弱いこと等によるものなのかを解明するため(破棄差戻する)」としている以上,差戻異議審での審理の対象は,トリエチルピロホスフェ―トの発色反応のみに限られるべきであると考えています。

弁護団の,争点を解明するために意味のある証拠調べについては同意するというスタンスに対しては,なぜそこまで譲歩するのかという疑問,批判もあろうかと思います。

  しかし,検察官は科学的合理性を欠く不当な主張を新たに次々と展開しており,裁判所もそれに引きずられています。

  このような状況の中,弁護団は,科学的知見に基づき,意味のある証拠調べと意味のない証拠調べをきちんと区別していかなければ,非科学的で無用な証拠調べが検察官主導で次々と採用されることとなり,ひいては,何も解明されることなく時間ばかりが空費されることになると考えます。

  そして,これこそが,不正義の最たるものです。

  奥西さんの救出に向け,今後とも,変わらぬご支援をお願い致します。

2.差戻異議審における主な経過

 ⑴ 弁護団意見書(1)等を提出(2010.5.10)

   最高裁決定を受け,意見書⑴を提出した。

   最高裁段階に至って初めて,検察官はトリエチルピロホスフェ―トの発色反応が弱いことを主張した。弁護団は最高裁に対し、この主張についての化学者の見解を付けた意見書を提出することを予告した。しかし最高裁は意見書を待つことなく,「トリエチルピロホスフェ―トの発色反応が非常に弱いこと等によるものなのかを解明するため」破棄差戻決定をした。

   意見書⑴では,科学理論的分析を下に,トリエチルピロホスフェ―トの発色反応が弱くないこと,事件検体と対照検体の希釈倍率が同程度であったことなどを論じて,最高裁が,本意見書を踏まえた上で判断していれば,「破棄差戻」ではなく,「破棄自判・再審開始」の判断がなされていたはずであると主張した。

 ⑵ 三者協議開催(2010.5.28)

   冒頭裁判所から三者協議の趣旨説明がなされ,裁判所から検察官及び弁護団双方に今後どのような主張・立証を予定しているのかについて聞きたいとの発言がなされた。

   これに対して検察官は,驚いたことに,現段階ではトリエチルピロホスフェ―トの「発色反応」の主張をするつもりはない。再現鑑定を実施すればRf0.58スポットの物質はトリエチルピロホスフェ―トではないことがわかるかも知れない,などと言い始めた。

   検察官のこのような主張は,差戻異議審に至ってなされた全く新たな主張であり,最高裁段階での「RF0.58スポットの物質がトリエチルピロホスフェートであるが,発色反応が弱い」との主張とも矛盾するものであり,弁護団は強く反論した。

 ⑶ 検察官意見書等提出(2010.7.16)

 検察官は,本意見書において「トリエチルピロホスフェ―トはニッカリンTの製造時に5%以下しか存在しない」という主張をし,それを前提に「Rf0.58スポットはトリエチルピロホスフェ―トではない」という主張を展開した。

   そして,製造時にトリエチルピロホスフェ―トが17%製造されるとし,Rf0.58スポットをトリエチルピロホスフェ―トと推定した佐々木・宮川鑑定に対して様々な攻撃を加えた。

 ⑷ 弁護団意見書(2)提出(2010.8.26)

   本意見書において弁護団は,最高裁決定の意義について詳細に論じ,差戻異議審における審理の対象がトリエチルピロホスフェ―トの発色問題に限られるべきこと,検察官がトリエチルピロホスフェ―トの発色反応について主張するつもりがないのなら,それ以上の審理は不要であり,直ちに再審開始決定を出すべきであることなどについて主張した。

 ⑸ 三者協議開催(2010.8.30)

   上記の通り,7月16日付検察官意見書は,従前の審理経過を全く無視して,新たな主張を大々的に展開するものであった。そのため,弁護団としては,まず検察官が,トリエチルピロホスフェ―トの発色が非常に弱いという最高裁での主張を維持するのかどうかについて釈明を求めた。しかし,検察官はそれに対して全く答えず,裁判所の回答も「裁判所としてはこれ以上の釈明は求めない。」というものであった。

   その上で,裁判所から差戻異議審における審理の対処がトリエチルピロホスフェ―トの発色問題に限られないこと,事件検体と近似の条件でペーパークロマトグラフ試験(注[iv])を実施すること及びニッカリンTを新たに製造してその成分分析を行うとの方針が示された。

 ⑹ 検察官意見書等提出(2010.9.13)

 検察官は,①新ニッカリンTを新たに製造することで事件当時のニッカリンTの成分内容を明らかにすることが本件の争点の解決に当たり最も重要であると論じ,②ペーパークロマトグラフ試験を実施する上での「近似の条件」なるものを縷々論じた。

 ⑺ 弁護団意見書⑶⑷等提出(2010.10.27)

  ア 意見書(3)において,7月16日付検察官意見書の誤りを明らかにした。すなわち,ニッカリンTは製造時にトリエチルピロホスフェ―トが17%前後含有すること,Rf0.58スポットをトリエチルピロホスフェ―トと推定した鑑定が科学的合理性を有すること,検察官の主張が科学的に不合理であることを明らかにした。

  イ 意見書(4)において,新ニッカリンTを製造してその成分を分析することには,新ニッカリンTの製造がもし可能であるならば,という条件付きで同意し,ペーパークロマトグラフ試験には反対の意見を述べた。

    LC/MS(注[v])やP-NMR(注[vi])を用いた成分分析は,誰がやっても同じ結果がでることが予想され,実験としての客観性を有する。したがって,その成分を分析した結果,トリエチルピロホスフェ―トが17%前後含まれていることが分かれば,検察官の「トリエチルピロホスフェ―トが製造時に5%以下しか含まれていない」という主張の誤りを客観的に明らかにすることができる。

    しかし,ペーパークロマトグラフ試験は,事件検体(飲み残りのぶどう酒)と対照検体(ニッカリンTを混入したぶどう酒)を,同時に同一条件で試験を行い,双方の成分の同定を行う試験であり,50年以上前に行った試験と「近似の条件」で再現することなど不可能である。また,近似の条件を設定して再現実験を行うとしても,不確定要素が多すぎるために実験を行うことは無理であり,仮に何らかの条件を独断的に決めて実験を行っても,それによって争点が解決することはない。条件が違っていたから違った結果が出たに過ぎない等と、議論が議論を呼ぶ結果になるだけである。

 ⑻ 検察官意見書等提出(2010.11.12)

   検察官は,再び「近似の条件」なるものを縷々論じている。のみならず,直前の2010年9月13日付検察官意見書では,ニッカリンTの成分分析が「本件の争点の解決に最も重要」と論じておきながら,成分分析には同意した上記弁護団の意見書⑷の直後には,成分分析の結果が弁護人の言うような測定結果になったとしても「ペーパークロマトグラフ試験の必要性がいささかも少なくなるものではない」と主張した。

 ⑼ 三者協議開催(2010.11.17)

   この席上で,裁判所は,新ニッカリンTを製造し成分分析を行うこと,その成分分析の結果いかんにかかわらず,ペーパークロマトグラフ試験も行うとの意向が示された。

   このような裁判所の態度は,最高裁の求める審理の範囲を明らかに逸脱しており,また本件の解決を不当遅延させるものであるため,弁護団としては強く反発した。

   また,証拠開示についても応酬がなされた。

3.証拠開示等について

  この他,弁護団は,検察官が持つ不開示証拠について開示することを,毎回強く求めている。他の再審事件でも証拠開示は流れになっている。また,本件は,死刑事件である。検察官は,全ての証拠を開示して,一点の曇りない立証をすべきである。証拠を隠したまま死刑判決を維持しようとする検察官の態度は,不正義の極みである。

  弁護団としては,引き続き強く証拠開示を求めて行く決意である。

4.新証拠1,2,4,5について

 また,毒物問題以外の新証拠1,2,4,5に関しても,新証拠としての価値を認めなかった最高裁の誤りを正すべく準備している。

以上

 

 


 ⅰ「既に審理が尽くされ,自らの主張の前提としてきた主張を変えて」の経緯

奥西さんの有罪判決を支える大きな柱の一つは,①事件後に行われた飲み残りのぶどう酒の試験の結果,混入された毒物はTEPPという有機リン系農薬であることが判明したこと,②奥西さんは日本化学が製造したTEPP剤である「ニッカリンT」を所持していたこと,③ニッカリンT を犯行に使ったという奥西さんの自白があることである。新証拠3は,本件犯行に使われた農薬がニッカリンTであることについて合理的疑いが生じていることを明らかにし,奥西さんの自白も信用できないことを明らかにするものである。

 事件後,三重県衛生研究所で飲み残りのぶどう酒に混入された毒物をペーパークロマトグラフ試験という方法で調べたところ,ぶどう酒にニッカリンTを入れたものからは,Rf0.95,Rf0.58,Rf0.48の3か所にスポットが検出されたが,飲み残りのぶどう酒からは,Rf0.95(主成分のTEPP)とRf0,48(TEPPが加水分解して生じるDEP)の2か所にしかスポットが検出されてなかった。当時の分析官は,0.58の物質が何かはわからないが,加水分解したため検出されなかったと説明していた。

 このことについて専門家の鑑定(新証拠3)によれば,①Rf0.58の物質はトリエチルピロホスフェ―トであること,②この物質はニッカリンTに17%前後含まれていること,③この物質の加水分解速度はTEPPより圧倒的に遅いこと,④飲み残りのぶどう酒にニッカリンTが混入されていたとしたら,TEPPが検出されているのにトリエチルピロホスフェ―トが検出されないはずはないこと,⑤従って,混入された毒物は製造時にトリエチルホスフェートを含まない三共テップなど別のTEPP剤である可能性が高いこと,以上のことを明らかにした。

 Rf0.58スポットの物質がトリエチルピロホスフェ―トであることは,再審開始した請求審決定はもちろん,不当にも再審開始を取消した異議審決定ですら認めていた事実である。また,最高裁段階でも当然その点は前提とされ,検察官もRf0.58スポットがトリエチルピロホスフェ―トであることを前提にして,Rf0.58にスポットが出なかったのは,トリエチルピロホスフェ―トの発色反応が弱いためであると主張してきたのである。

 しかし,検察官は差戻異議審に至って,既に審理が尽くされ,自らの主張の前提としていた主張を変え,「トリエチルピロホスフェートの発色反応が弱いという主張はしない」,「ニッカリンTは製造時にトリエチルピロホスヘートは5%以下しか含まれていない」,「Rf0.58スポットはトリエチルピロホスフェ―トと特定されていない」等と主張しはじめたのである。

 

[ii] Rf0.58スポット

 三重県衛生研究所のペーパークロマトグラフ試験において,ぶどう酒にニッカリンTを入れた対照検体のみに現れたスポット。飲み残りぶどう酒(事件検体)からはこのRf0.58スポットは検出されなかった。

[iii] トリエチルピロホスフェ―ト

 有機リン化合物の一種。ニッカリンTを合成する化学反応の過程で17%前後生成される。一方,たとえば三共テップなど別の有機リン剤テップ剤では生成されない。

 そのため,犯行に使用された農薬がニッカリンTであることに合理的疑いが生じているのである。

 検察官は,差戻異議審に至って突如,ニッカリンTを合成する化学反応ではトリエチルピロホスフェ―トは僅かしかできないなどと主張し始め,その主張を差戻異議審での主張の柱に据えた。

 

[iv] ペーパークロマトグラフ試験

 濾紙を用いて物質を分離・精製する分析方法。物質の大きさ・吸着力・質量・疎水性などの違いを利用して物質を成分ごとに分離する。

 ペーパークロマトグラフ試験は,温度,湿度,点滴量,濾紙の性質など様々な条件によって結果が異なり得る。

三重県衛生研究所が事件検体(飲み残りぶどう酒)と対照検体(ぶどう酒にニッカリンTを混入したもの)を,同一時に同一条件でペーパークロマトグラフ試験を行ったように,分析対象物と対照物とを同一時に同一条件で行わなければ意味がない試験である。したがって,その性質上「再現実験」などは意味がないのである。

 検察官は,ペーパークロマトグラフ試験の再現実験を行うことを主張しているが,ペーパークロマトグラフ試験の性質上,三重県衛生研究所の試験結果とは異なる実験結果が出ることが考えられ,そうなった場合,その理由について延々と議論が繰り返されることになり,審理の遅延を招くだけである。

 

[v] LC/MS

 LCとは,液体クロマトグラフィ-のことで,MSとは質量分析法のことである。

 LCは最新機器を用いて行う物質を分離・精製するクロマトグラフィ-法であり,LC/MSとは,物質の分離・精製と質量分析を行うことである。

 ペーパークロマトグラフ試験と異なり,実験の再現性は高い。

 弁護団は従前より,この分野における最高の化学者の協力を得て,ニッカリンTの中にトリエチルピロホスフェ―トが含まれていること,トリエチルピロホスフェ―トはその性質上,Rf0.95の物質とRf0.48の物質の間に現れる物質であることを突き止めてきた。

 

[vi] P-NMR

 Pとはリン化合物のことであり,NMRとは核磁気共鳴分光法のことである。

 有機リン化合物が含まれた物質中の各有機リン化合物の割合を調べることができる。この分析も最新機器を用いて行う実験であり,ペーパークロマトグラフ試験と異なり再現性が高く,追試も容易である。

弁護団は従前より,この分野における最高の化学者の協力を得て,ニッカリンTに17%前後のトリエチルピロホスフェ―トが含まれていること,トリエチルピロホスフェ―トが物質として安定していることを明らかにし,製造時においても同程度のトリエチルピロホスフェ―トが含まれていることを明らかにした。

 しかし,検察官は,差戻異議審に至って,突如,ニッカリンT製造時にトリエチルピロホスフェ―トは僅かしか生成されないとの主張を始めた。

 もし,新ニッカリンTを製造することが可能であるのであれば,その成分比の割合を明らかにすることで,従前から弁護団が主張していたように,ニッカリンT製造時に17%前後のトリエチルピロホスフェ―トが生成されることが明らかになる。そして,検察官が差戻異議審で柱に据えた,ニッカリンT製造時にトリエチルピロホスフェ―トは僅かしか生成されないという主張は,完全に崩壊することになろう。

 


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