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名張毒ぶどう酒事件:差戻異議審の状況:同事件弁護団(2012.2.29)

名張毒ぶどう酒事件弁護団は差戻異議審の状況(2012年2月29日現在)を以下のとおり報告しております。

 

本稿では,前稿に引き続き,2010年11月17日三者協議以後の流れについてご報告致します。

 これまでの審理の流れや,差戻異議審における争点,用語に関しての説明は,前稿及び前稿の注をご参照ください。

 

第1 2010年11月17日三者協議以後の流れ

1 2010年11月17日の三者協議で,裁判所から,新ニッカリンTの製造と新ニッカリンT及び宮川鑑定に用いられた昭和40年6月11日製造のニッカリンT(以下「旧ニッカリンT」という)の成分分析に関する鑑定を行う旨の意向が示されて以降,裁判所による鑑定人探しが始まりましたが,鑑定人探しは難航を極めました。

  裁判所は,当初は,ペーパークロマトグラフ試験も行いたいとの意向を示していました。しかし,弁護団がこれまで主張してきた通り,ペーパークロマトグラフ試験の再現実験を行うことは,実験条件が確定できないため不可能です。

  裁判所が,各研究機関等に送った依頼書も,新ニッカリンT及び旧ニッカリンTの成分分析のみをその内容とするものでした。

2 鑑定人探しの間のやり取り

  鑑定人探しを行っている最中,裁判所は,検察官・弁護人の双方に対して,新ニッカリンTの成分分析の結果が,相手方の主張に沿う結果となった場合に,想定されている主張,立証の有無,ある場合にはその内容の概要を書面で回答するように求めました。

  弁護団は,即刻回答し,検察官の主張に沿う結果(トリエチルピロホスフェートが5%以下しか含まれていないこと)は考えられないと回答しました。

  これに対して,検察官は,裁判所からの質問に正面から回答しなかったばかりか,再びトリエチルピロホスフェートの発色が弱いことなどを主張すると言い出しました。

トリエチルピロホスフェ―トの発色反応が弱いとの主張は,検察官が最高裁段階で初めて持ち出した主張です。検察官は,同主張によって,破棄自判による再審開始ではなく,破棄差戻の決定を得ておきながら,差戻異議審においては,同主張を引っ込め,トリエチルピロホスフェ―トは僅かしかないという主張を展開し,その主張の正誤を確かめるため成分分析等の鑑定を行うことになったのです。

今さらトリエチルピロホスフェ―トの発色反応を持ち出す検察官の不正義は甚だしく,弁護団はこれに対して,検察官の訴訟態度の不当性を明らかにする意見書を提出しました。

3 鑑定人の決定

  難航した鑑定人探しの末,2011年5月10日鑑定人が決定され,同年5月16日に鑑定人の宣誓と鑑定前の尋問が行われました。

鑑定事項は,新ニッカリンTや旧ニッカリンTの含有成分及び各成分のモル比,重量比を明らかにすることであることが確認されました。

なお,検察官は,この鑑定人尋問に際しても,検察官の主張に沿う文書を鑑定人に手交しようとし,検察官の主張に沿う事項を陳述しようとしましたが,裁判所はこれを許しませんでした。

  

第2 鑑定書の内容について

  2011年10月3日,裁判所に鑑定書が提出されました。

1 成分分析について

  鑑定事項である成分分析について,重水溶解直後[i]の新ニッカリンTには,トリエチルピロホスフェ―トが,重量比で24.7%も含まれていることが明らかとなりました。その結果,TEPP,DEPに比較したトリエチルピロホスフェートの相対的な量は,これまでの宮川鑑定よりも多いことが明らかとなりました。

  また,特筆すべきは,今回の鑑定でも,宮川鑑定で検出されなかった成分は,検出されなかったことです。

検察官はこれまで,宮川鑑定は,ニッカリンT中の様々な成分を意図的に看過しており信用できないと主張し,トリエチルピロホスフェ―トは僅かしかないという主張と相まって,Rf0.58スポットは,トリエチルピロホスフェ―トと特定されていないと主張してきました。

今回の鑑定によって,宮川鑑定に対して理に欠ける非難を続けてきた検察官の主張の誤りは明らかとなり,宮川鑑定の正しさもまた裏付けられたのです。

2 エーテル抽出[ii]について

 ⑴ 一方,鑑定人は,鑑定事項にはない,「エーテル抽出実験」を独自に行いました。

   そして鑑定書には,鑑定人の行った実験条件下では,

① トリエチルピロホスフェ―ト及びDEPはエーテル抽出されない,

② DEPは,エーテル抽出されたTEPPが加水分解して生成されるため,エーテル抽出物からも検出される

との記載がありました。

 ⑵ 検察官は,上記鑑定書の記載から,2011年10月27日付意見書において,三重県衛生研究所のペーパークロマトグラフ試験の事件検体で,Rf0.95スポットのTEPPとRf0.48スポットのDEPが検出されたのは,エーテル抽出されたTEPPと,そのTEPPが加水分解されたDEPであって,事件検体にニッカリンTが入っていたとしてもRf0.58スポットが検出されないことの説明になると主張しました。

   しかし,この主張は,三重県衛生研究所のペーパークロマトグラフ試験において,エーテル抽出後の対照検体から,Rf0.58スポットのトリエチルピロホスフェートが検出されていることを全く説明できません。

  したがって,検察官の主張は,事件検体からトリエチルピロホスフェ―トが検出されていないことの説明とはなり得ないのです。

   エーテル抽出は,様々な実験条件によって結果が左右されます。三重県衛生研究所のペーパークロマトグラフ試験で,エーテル抽出後の対照検体のペーパークロマトグラフ試験によってトリエチルピロホスフェ―トが検出されているのに,鑑定人の実験結果ではトリエチルピロホスフェ―トがエーテル抽出されなかったことは,結局のところ,エーテル抽出条件が異なっていたことを意味するに過ぎません。

  要するに,この実験から明らかになったことは,実験条件が分からない以上,再現実験は不可能であり無意味であるということだけなのです。

 

第3 2011年12月26日,鑑定人兼証人尋問実施

1 成分分析について

鑑定書の提出後,裁判所は,「鑑定内容の理解を深めるため」鑑定人兼証人尋問を行うことを決定し,2011年12月26日名高裁の法廷で尋問が行われました。

まず裁判所から成分分析の基本的な事項に関しての尋問がなされ,その後,検察官,弁護人から尋問がなされました。

  これによって,これまでの宮川鑑定の正しさが再度確認されました。そして,対照検体Rf0.58スポットがトリエチルピロホスフェ―トであるとした佐々木鑑定についても,鑑定人は同意見である旨を述べました。

  このように,トリエチルピロホスフェ―トが僅かしか含まれていない,Rf0.58がトリエチルピロホスフェ―トとは特定されていないという差戻異議審における検察官の主張の誤りは,明確となったのです。

2 エーテル抽出について

  ⑴ ところで,鑑定人は,事件検体ではRf0.58スポットのトリエチルピロホスフェ―トが検出されず,対照検体からのみトリエチルピロホスフェ―トが検出された理由について, トリエチルピロホスフェートがエーテル抽出されないという鑑定人の見解を基に,以下の通り証言しました。

  ① 事件検体はエーテル抽出されているものである。したがって,

    Rf0.95スポットは,エーテル抽出されたTEPPが検出された。

    Rf0.58スポットは,トリエチルピロホスフェ―トがエーテル抽出されないため検出されなかった。

    Rf0.48スポットは,わずかにエーテル抽出されたDEPと,エーテル抽出後の過程でTEPPが加水分解されたDEP[iii]が検出された。

  ② 対照検体は,エーテル抽出されていないものである。

そのために,Rf0.95スポットのTEPP,Rf0.58スポットのトリエチルピロホスフェ―ト,Rf0.48スポットのDEPが検出された。

 ⑵ また,鑑定人は,鑑定書提出後,追加実験を行い,強い酸性物質を加えても,トリエチルピロホスフェートはエーテル抽出されなかったとして,極端に条件を変えない限りトリエチルピロホスフェートはエーテル抽出されないとする独自の見解を述べました。

 

第4 2012年1月20日,検察官意見書提出

検察官は,鑑定人の実験条件下では,トリエチルピロホスフェートがエーテルで抽出されなかったことから,これを前提に三重県衛生研究所で行われたペーパークロマトグラフ試験の対照検体はエーテル抽出の操作を行っていなかったため,トリエチルピロホスフェートのスポットが検出されたが,同試験の事件検体はエーテル抽出の操作を行ったため,トリエチルピロホスフェートがエーテル相に移行せず,トリエチルピロホスフェートのスポットが検出されなかったと主張しました。

つまり,鑑定人の上記見解にそのまま乗った主張を展開したのです。

 

第5 2012年2月14日,弁護団意見書提出

1 新証拠3について

⑴ 成分分析の結果について

鑑定人は,Rf0.58スポットを,宮川鑑定の成分比を下にトリエチルピロホスフェートであると特定した佐々木鑑定について,鑑定書の記載からはさらに一歩踏み込んで,同意見である旨,明確に証言しました。

   そこでまず弁護団は,鑑定事項であるニッカリンT中の成分及び重量比・モル比が弁護人の主張のとおりであったこと,成分分析における宮川鑑定の正しさ,Rf0.58スポットの物質はトリエチルピロホスフェ―トであるとした佐々木鑑定の正しさが,本件鑑定によって確かめられたことを再度明らかにしました。

⑵ 検察官の主張の誤りについて

 ア 三重県衛生研究所でペーパークロマトグラフ試験を行った技官・須藤輝行氏は,確定審の第1審で,対照検体についても

「標準物を同時に同じ条件下におきましてペーパークロマトグラフ試験を行ったわけです。標準物というのはニッカリンTを求めました。これは対照のブドウ酒の中へ添加いたしましてそれをエーテルで抽出いたしまして検体と同じように処理いたしました。」

  と明確に証言しています。

検察官は,これまで,事件検体からRf0.58スポット不検出の理由について,トリエチルピロホスフェートが加水分解したとか,トリエチルピロホスフェートは発色反応が弱いとか,そもそもトリエチルピロホスフェートは僅かしか存在せずRf0.58スポットはトリエチルピロホスフェートと特定されていないとか縷々述べてきました。

しかし,検察官はここに至って,明らかに証拠に反する主張し始めたのです。

  イ 弁護団は,この検察官の主張が,上記須藤技官の証言と明らかに反することを指摘するにとどまらず,ペーパークロマトグラフ試験は,同一条件で同時に両者を比較しなければ意味がないことなど,対照検体についてのみエーテル抽出をしないことはあり得ないことを明らかとしました。

⑶ トリエチルピロホスフェートのエーテル抽出に関する科学的知見の説明

弁護団は,以下の観点から,トリエチルピロホスフェートがエーテル抽出されないという鑑定人の見解が,三重県衛生研究所の対照検体がエーテル抽出されていないという重大な誤解によって導かれたものであり,実験事実からも化学理論からも否定されるべきものであることを明らかにしました。

① 三重県衛生研究所の実験ではトリエチルピロホスフェートが現に抽出されていることから,トリエチルピロホスフェ―トがエーテル抽出されることは明確な実験事実である。

三重県衛生研究所におけるエーテル抽出条件は分かっていないことから,鑑定人の行ったエーテル抽出実験からは,両実験の条件が異なっていたことが明らかとなったに過ぎない。

鑑定人の行った強い酸性物質を加えてのエーテル抽出実験も,三重県衛生研究所がどの程度の酸性(pH値)でエーテル抽出を行ったかも不明であるため,その差や他の条件などが影響し,結果に影響を与えたことが考えられる。[iv]

② 化学理論的にも, トリエチルピロホスフェートはDEPよりもエーテル抽出効率が高いと言えるのであり,DEPがわずかにエーテル抽出される一方でトリエチルピロホスフェ―トがエーテル抽出されないとする鑑定人の見解は成り立たない。鑑定人自身,自己の見解を化学的な立場から説明するのは難しいことを認めている。

⑷ これまでの新証拠3に関する検察官の主張は,変転極まりなく,検察官が依拠しようとした各科学者の説明は,検察官自身が一度はその論旨に賛同しながら,最終的には信を置くことができなかったという経過を示しているのであり,その主張はすでに破綻しています。

また,検察官の新主張も,明確に証拠に反するものです。さらに鑑定人の見解も,実験事実にも化学理論にも反するものです。

最高裁決定は,本件毒物がニッカリンTだと認められるためには,ニッカリンTが使用されたとしてもRf0.58スポットが検出されない理由を科学的知見に基づいて合理的に説明することが必要であると判示しています。検察官が,その理由を科学的知見に基づいて合理的に説明することができない以上,本件毒物をニッカリンTと認めることはできません。

したがって,本件毒物はニッカリンTではなく,三共テップ等トリエチルピロホスフェートを含まないテップ剤であると認めるべきなのです。

 

2 総合評価について

 ⑴ 最高裁決定は,「新証拠1,2,4及び5については,刑訴法435条6号にいう『無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したとき』には当たらないとした原判断は相当である」とする一方で,新証拠3については,「原決定が本件毒物はニッカリンTであり,トリエチルピロホスフェートもその成分として含まれていたけれども,三重県衛生研究所の試験によっては,それを検出することができなかったと考えることも十分に可能であると判断したのは,科学的知見に基づく検討をしたとはいえず,その推論過程に誤りがある疑いがあり,いまだ事実は解明されていないのであって,審理が尽くされているとはいえない。これが原決定に影響を及ぼすことは明らかであり,原決定を取り消さなければ著しく正義に反するものと認められる」と判示しました(14頁)。

このことは,まず,最高裁決定が,新証拠3について,刑訴法435条6号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したとき」に当たり得ると判断したことを意味します。

なぜなら,新証拠3についての審理を尽しても確定判決の有罪認定に合理的疑いが生じないと判断したのであれば,わざわざ異議審決定を取り消して差し戻す理由はないからです。

そこで,弁護団は,新証拠3が他の新旧証拠にどのような影響を及ぼすのかを明らかにしました。

    ⑵ 具体的に,確定判決の「罪となるべき事実は,犯行の計画・準備・実行・犯行後の行為の全てにわたって本件毒物が,ニッカリンTであることが前提となっています。

   したがって,本件毒物がニッカリンTでないとすれば,確定判決の「罪となるべき事実」が全て誤りであることが明らかとなるのです。

   また,奥西さんの自白も客観的事実と矛盾することとなります。

   さらに,奥西さんが,ニッカリンTを持っていたことが,奥西さんに犯行の機会があったことの根拠とされているのですから,本件毒物がニッカリンTでないと認められれば,その点でも,犯行の場所と機会に関する状況証拠は全体として維持できなくなります。

 ⑶ 以上のように,本件毒物がニッカリンTでないと認められることそのもの,及びその波及的効果によって,本件の有罪認定を支える証拠構造は,完全に崩壊したと言えるのです。

 

第6 闘いはまだ続きます。今後とも,変わらぬご支援をお願い申し上げます。

最後に,弁護団意見書⑾の結語を引用し,本稿の締めとします。

   「本件発生時である昭和36年3月に35歳の若者であった請求人奥西勝は,本年1月14日に満86歳となった。事件発生から半世紀を超え,死刑判決を受けた昭和44年から死と直面しつつ43年を経た。

   奥西勝の人生を奪ったものは司法の過誤であり,冤罪を晴らすことなく獄中で死を迎えることは絶対にあってはならない。誤判による死刑は国家による殺人であり,奥西勝を獄中で死なせることは,司法の過誤による致死である。冤罪を晴らすには,もはや1日の猶予も許されない。

   裁判所はすみやかに検察官の異議申立を棄却し,再審を開始すべきである。」

                                  以上

 


[i] 重水溶解直後

 新ニッカリンTの含有成分を定量的に測定するために,新ニッカリンTを重クロロホルムに溶解した状態での分析と,重水に溶解した状態での分析がなされた。このうち,重要なのは,重水に溶解した状態でなされた分析である。なぜなら,ぶどう酒の成分のほとんどは水だからである。

[ii] エーテル抽出

 三重県衛生研究所のペーパークロマトグラフ試験においては,事件検体と対照検体の双方について,ぶどう酒中から毒物の成分を取り出して濃縮するための操作として,エーテル抽出がなされた上で,抽出物についてペーパークロマトグラフ試験がなされた。

[iii] TEPPが加水分解されたDEP

 鑑定人は,鑑定書においてはDEPはエーテル抽出されず,抽出後のエーテル相で検出されたDEPは抽出操作の過程でTEPPより加水分解を受けて生じたものであると考えられるとした。

 もっとも,その後の証言においては,DEPはわずかにエーテル抽出されると述べた。

 しかし,結局のところ,鑑定人は,鑑定人の行った実験結果からは,鑑定人が行った条件でDEPがエーテル抽出されたのか,DEPはエーテル抽出されなかったが,エーテル抽出されたTEPPが加水分解した結果DEPが生成されたのかを区別できないことを認めた。

[iv] 三重県衛生研究所におけるエーテル抽出の条件は,酸性物質として何をどの位の量加えたのか,エーテルをどれだけの量使用したのか,エーテル抽出の回数,当時の温度条件等が全て不明である。

 エーテル抽出は,スケール,加えた酸性物質,酸性の程度,エーテル抽出回数,アルコールの有無などの条件の違いがエーテル抽出の結果に影響を及ぼしたことが考えられる。