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足利事件に関する最新の刊行物の紹介

足利事件の誤判原因を考えるための最新の刊行物として次の三著作が参考になりますので紹介します。

第1,「DNA鑑定」後藤眞理子 小林充 植村立郎編『刑事事実認定重要判決50選』(補訂版 下 立花書房 平成21年4月1日5刷)207頁以下

 同書は、「刑事事件の分野における最高裁判所及び下級裁判所の判決を素材として、刑法総則及び主要個別犯罪の事実認定上の重要な問題とともに、犯罪全体を通ずる総合的な事実認定法則をできるだけ分かりやすく解説することを目的として、編集されたものである。」という(同書「はしがき」)。

1,同書 下207頁~218頁において、足利事件を上告審で調査官として担当した後藤眞理子氏(東京地方裁判所判事)が執筆者として、「DNA鑑定」○最決平12・7・17 刑集54・6・550の解説が掲載されている。

【事案の概要】足利事件の概略を紹介したうえで、「上告趣旨の一つとしてDNA型鑑定書の証拠能力及び証明力が争われ、職権でこれに答えたものが、本判例である。」

【判   旨】「本件で証拠の一つとして採用されたいわゆるMCT118DNA型鑑定は、その科学的原理が理論的正確性を有し、具体的な実施の方法も、その技術を習得した者により、科学的に信頼される方法で行われたと認められる。したがって、右鑑定の証拠価値については、その後の科学技術の発展により新たに解明された事項等も加味して慎重に判断されるべきであるが、なお、これを証拠として用いることが許されるとした原判断は相当である。」

【検   討】1 審理の経過 2 DNA型鑑定の概要 3 問題点 4 証拠としての許容性 5 証明力 6 結び の順に検討を進めている。

2,後藤判事は、「4 証拠としての許容性」の判断基準として、以下の項目を挙げている。(1)科学的証拠であること、(2)科学的原理の理論的妥当性、(3)具体的実施方法の信頼性、(4)事後に検証可能であること、などである。

 この検討内容については、さらに詳しく批判的再検討が必要であるが、少なくとも2点を指摘しておくことが必要である。

その1は、「科学的証拠であること」、科学的原理の理論的妥当性」、「具体的実施方法の信頼性」という基準は、必要条件であって、十分条件ではないことである。特に、DNA鑑定の如き「開発途上の先端技術」について、「科学的原理の理論的妥当性」及び「具体的実施の信頼性」は誰がどの様にして判定できるというのだろうか。

後藤判事は、「MCT118法は、科学理論的、経験的な根拠を持っており、より優れたものが今後開発される余地はあるにしても、その手段、方法は、確立された、一定の信頼性のある、妥当なものと認められる。」、「したがって、MCT118法に依拠し、専門的知識と経験のある練達な技官によって行われた本件DNA鑑定の結果を本件の証拠に用いることは許される。」(同書208~209頁)という。

「信頼性」、「練達性」がどの程度のものであったかは、後記する小林篤氏が的確に指摘している。

そして、即時抗告審で実施されたDNA再鑑定で被害者の半袖下着から菅家氏のDNA型が検出されなかったことは本件DNA型鑑定には誤りがあったということである。

後藤判事のいう「科学的原理の理論的妥当性」及び「具体的実施の信頼性」の検討結果は、脆くも崩壊したと言わざるを得ない。

 なお検察庁と警察庁は、MCT118型による本件DNA型鑑定が誤鑑定だったことを公式には認めていない。科学の進歩により当時は分からなかった新しいDNA型を調べることができて初めて菅家さんの無実が判明した、という立場を採る。そして、再審公判において、MCT118型検査を再試行して本件DNA型鑑定の間違いを明言した筑波大学本田克也教授(DNA再鑑定人の1人)の鑑定書は間違っているとして争っていることを後世のために付記しておくことが重要であろう。

その2は、それに故に、「事後の検証」が重要であり、その検証ができない科学的鑑定は証拠から排除されなければならないのである。 

ところが、後藤判事は、「事後に検証可能であること」を基準に挙げながら、「しかし、試料に余裕があるような事案であればともかく、犯罪捜査の過程では、その試料が微量であることも多く、襲来の再鑑定に備えて、常にその試料を確保しておくことは困難で非現実的と思われるし、さらに追試の追試ということまで予想されなくはないのであって、これを訴訟能力の要件とすることは相当ではないと思われる。」とこの基準の例外を承認している。

この見解は、この種の科学的鑑定の危うさに目を閉ざした、捜査優先主義であるとの批判を免れないだろう。

この危うさは後記の小林篤氏の著作で明らかにされている(同書138頁以下、特に159頁など)。

3,このように、後藤判事の前記「証拠としての許容性」の検討には致命的というべき欠陥があり、最高裁判事は後藤調査官の調査報告書を鵜呑みにして、その結果として誤判を犯したと推察しても必ずしも的外れではないだろう。

最高裁判事は、誤判を避けることはできなかったのであろうか。それを以下の二著作が明らかにする。

第2,《補論》「足利事件について」 木谷明著『刑事事実認定の理想と現実』(法律文化社 2009年8月15日 初版)233頁~240頁所収。

木谷教授(元最高裁調査官・元東京高裁判事部総括)は、上告審の審理について以下のように批判する。「よく知られているように、この段階では、被告人から採取した毛髪のDNAが遺留体液のそれと合致しないという新たな鑑定書(押田鑑定)が提出されていた。それは、当然に上告審の判断資料になるものではないが、裁判官も調査官も事実上それを見ているのである。そうであれば、そのような鑑定書があることを意識したうえで、記録と判決書をもう一度批判的に調査し直すべきではなかったか。そして、そういう目で自白を検討していれば、その信用性を肯定した原判決の問題点を発見するのがそれほど困難であったとは思われない。それであるのに、上告審は決定で上告を棄却してしまった。それだけではなく、こともあろうに『記録を精査しても、被告人が犯人であるとした原判決に、事実誤認、法令違反があるとは認められない』として、原判決の事実認定にお墨付きを与えてしまったのである。」、「この決定が、前記のような新たな鑑定書が提出されていることを意識し、批判的な目で記録を読み直したうえでされたものであるとは、私にはにわかに信じられない。」、「上告審は、余りにも軽軽しく原判決の認定にお墨付きを与えてしまったという批判を免れないと思う。」

第3,小林篤著『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』(講談社文庫 2009年9月15日第1刷)

 著者は、「ひょんなことからこの事件に興味を覚えた僕が、二審の裁判がはじまる直前から半年あまり取材して、多くの事件関係者や捜査した警察の人たちに会っていくうちに、菅家利和被告を犯人とするには無理がある事実や証言がいくつも出てきました。当初より僕は、菅家被告の味方をするつもりはまったくありませんでした。彼が本当に犯人かどうか、裁判所が有罪として認定した事実を一つ一つ調べては、疑問があれば本人はもちろん、警察や検察・弁護側にも確かめて、それを記事として発表するというのが仕事です。」(「文庫本のあとがき」)。

「弁護団が第一に主張する、DNA鑑定が未熟な技術だったという問題から入ろう。結論から先に述べると、足利事件のDNA鑑定に関してこの指摘はほぼ正鵠を射ていた。」(同書160頁)

「足利事件の鑑定時までに、日本法医学会総会で発表された論文は、MCT118型に関しては90年と91年の二つのみで、いずれも科警研の報告であった。追試で確認されて承認を得たとは、到底言いがたい段階である。しかも、92年のDNA多型研究会での第1回学術集会で、信州大学法医学教室の本田克也らのグループが、科警研のMCT118型の型鑑定における問題点を指摘していた。それは、型判定をする際に、物差しの役目をするマーカー(通称123マーカー)と試料のDNAとが、移動度を測定するためのゲル(ポリアクリルアミドゲル)という寒天状の板の中で、正しく移動しないことを報告する論文だった。つまり、科警研のやり方ではMCT118型の型が実際とは異なる型と判定される可能性があることが判明したのである。」(同書161~162頁)

「足利事件における冤罪は、犯人がいてくれないと困る人々が、DNA鑑定というブラックボックスを無批判に盲信したばかりではなく、DNA鑑定によって利益を得ている専門家たちの厄介事には見ざる・言わざる・聞かざるという無責任さこそが禍根となり、この社会に生み出された危うい科学ファンタジーではないでしょうか。」という(「文庫本のあとがき」)。

 この本は、本件の捜査、第一審、控訴審、上告審について詳細に調査し、何故菅家さんが犯人に仕立て上げられ、有罪が確定したのかについてレポートされている。特に、本件で実施されたDNA鑑定及び精神鑑定について、著者の疑問点を専門家に直接尋ね歩き、その疑問が次の疑問を呼び起こす経過は圧巻である。

 地裁・高裁・最高裁の裁判官が、著者の抱いた疑問の一つにでも少し注意深い関心を持ったならば、本件の誤判は避け得たのにという想いの読後感を多くの人は抱くであろう。

 この三つの著作を同時に読むと、裁判官・検察官・弁護士・警察官などの思考方法を含めて、誤判に至る経過と原因がよく分かる。

                                                            (2009.9.21  四望 範吾)