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2011年 謹賀新年 (管理人・世話人から新年のご挨拶)

 本年も情報の提供とアクセスをよろしくお願いします。

           サイト管理人 弁護士 岡 部 保 男

 冤罪防止サイトは裁判員裁判の開始とほぼ同時期の2009年8月にスタートしました。このサイトは、死刑再審4事件の教訓をできるだけ多くの人に知って戴き、冤罪(誤判)防止に役立つ資料を提供することを目的としております。

 このサイトの情報は、主に日弁連が支援している再審請求(公判)事件の判決、決定、意見書、弁護団報告などです。この間、再審請求事件弁護団などの関係者の多大な協力を戴き、準速報性と資料性において記事内容も次第に豊富となりました。

2011年は、皆さまのご協力により、サイトの記事をいっそう充実させたいと期しております。

同時に、私としては、「取調の全面可視化」、「裁判の科学化」、「裁判所の誤判責任の追究」を課題としたいと思います。

わが国の刑事裁判の現実は、「自白調書」が「最強の有罪証拠」として機能しています。「裁判官・裁判員」が、その自白調書がどのような状況で作成されたのかを映像(DVD録画)等により確認できるようにしなければなりません。

「取調の全面可視化」されていない自白調書は「任意性」と「信用性」を確認できないとして証拠から排除する原則を確立することが冤罪(誤判)を防ぐためには必要不可欠です。「取調の全面可視化」を実現しましょう。

また、DNA型鑑定を始めとして「科学的鑑定」が、今後の裁判ではいっそう重要な意味を持つでしょう。「科学的鑑定」の信用性は、再鑑定により再確認できることが「科学的」であるための最低条件です。再鑑定の保証がない「科学的鑑定」は証拠能力を持たないという原則を確立しましょう。

「冤罪(誤判)の責任」は、ほとんどの場合には、第1次的には、捜査官、検察官にありますが、最終的な責任は、証拠の採否及び判決を含めて、言うまでもなく裁判所にあります。

「死刑再審4事件」の誤判事例おいて、裁判所は誰一人として責任を明らかにしませんでした。また、司法機関として誤判原因を検証しようとしませんでした。これまでの冤罪事件においても、再審公判の無罪判決時に再審公判担当裁判長がお詫びのことばを述べることはあっても、誤判の責任や原因を明らかにしようとはしませんでした。この体質は現在でも何ら変わっておりません。

司法機関が「誤判の責任と原因」を究明することは、「裁判官の独立」が侵されるという議論が一部にはあるようですが、果たしてそうでしょうか。

司法機関が誤判の責任と原因を明らかにすることは、職責上の義務であるという原則を確立しましょう。

 

 

2011年は「司法改革元年」に!

サイト世話人 弁護士  西 嶋  勝 彦

昨年は冤罪をめぐって、活発な論議が沸きあがって、冤罪原因の究明とその防止、検察を含む制度改革の要求が当然のように俎上にのぼりました。

しかし、組織防衛から、警察や検察の氷見事件、足利事件の検証報告は、無実の人がなぜウソの自白をさせられたのかについての取調べの根本的原因と反省は見られず、志布志事件については、架空の事件であったことへの反省は全くありません。その後最高検と法務省は村木事件に右往左往しても、特捜検察の問題に矮小化する小手先の改善策の域を出ない対応ぶりです。

内部組織のもとにおかれた検討会議の限界は明らかです。

又、最大の責任を負うべき裁判官の冤罪の責任が正面から論じられることなく幕引きされるとすれば、到底許されません。

日弁連では、冤罪の原因究明とこれまで果たされなかった刑事司法改革を提言する独立した第三者機関の設置を目ざして、諸方面に働きかけていきます。そこでは、取調べの全面可視化、証拠の全面開示、人質司法の抜本改革はもとより、冤罪を推しすすめた者の責任を明らかにし、正論が通らない組織の抜本改革などが提言され、国会にボールは投げられるでしょう。本年はその改革元年としなければなりません。

私は、第2次再審請求中の冤罪袴田事件の弁護団長として、昨年は検察官から部分的ですが、証拠開示をさせることができましたので、本年はさらに開示を求め、再審開始につなげていきたいと思っています。

 

 

刑事裁判を見つめる市民の目の包囲網を!

サイト世話人 弁護士 酒井 幸

 80年代に相次いだ死刑冤罪4事件の再審無罪の確定を、自らの経験として知らない世代が増えています。そんな中で、昨年の足利事件の再審無罪は、冤罪は“戦後間もない時期であるが故の事件”でなくても、捜査機関や裁判所の姿勢が変わらない限り起こりうるものであることを教えてくれました。さらには、DNA型鑑定という疑うことを許されないはずだった“科学的”な鑑定でも、鑑定をする側、それを判断する側の姿勢により、冤罪を生む危険性があることを示しました。

 「無辜の市民を処罰するようなことがあってはならない。」

 検察・警察こそ、この命題を自らのものとして自覚する必要があります。国民に代って捜査をして集めた証拠は、国民のもの。被疑者・被告人に不利な証拠も有利な証拠も、全て開示することの必要性が、相次いだ検察の不祥事からも、強く浮かび上がって来ています。

 裁判員制度は助走期間を終え、審理期間が長いもの、無罪を主張するもの、死刑が求刑されるものなど、難しい判断を必要とする事件が増えてきました。裁判員となった方々がすすんで経験を話し、苦しみ悩みながら、見事な結論に至った様子が伝わってきます。「無罪推定」や「有罪とするには合理的な疑問が残らない程度の証明が必要」という刑事裁判の原則が尊重される裁判が実現されつつある。市民参加の裁判員裁判で、刑事裁判は変わると考えてきましたが、現実は、その方向で、確かな歩みを重ねているように見受けられます。

このような変化の中で、この春、布川事件は、判決を迎えます。あわせて、冤罪事件の原因究明の方策や検察改革が、どこまで進むか、今年は刑事裁判にかかわる人や組織が問われる年となりそうです。

引き続き、多くの方々にこのサイトの記事に目を通していただくことで、刑事裁判を真剣に見つめる市民の目の包囲網が作られていくことを願っています。